個人用知的移動体における体験コンテンツの共有と再利用に関する研究

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小酒井 一稔
名古屋大学 大学院 情報科学研究科 メディア科学専攻

概要

個人用知的移動体AT(Attentive Townvehicle)は、搭乗者である人間や、自分を取り巻く環境に適応し、個体間通信によって協調的に動作可能な個人用の乗り物である。ATに乗り込むことによって、移動に伴う環境の変化に応じて、暗黙的な情報処理を行うことができる。これにより、実世界状況や文脈に合わせて、その時点で最適な情報サービスを受けることができる。ATにおけるネットワークでは、周辺情報の収集・配信を行うサーバが存在し、サーバクライアント型のアプリケーションが提供されている。我々は、ATを新たなコミュニケーションツールとして捉え、実世界状況に依存した情報を利用して体験記録を作成し、共有・再利用するシステムの構築を目指している。

本研究では、体験を「行動一般に対する主観的解釈」と定義する。そして、たとえば移動履歴や通信履歴などのような、ATによって獲得される様々な文脈情報に対して体験としての解釈を与え、共有のための情報を加えることによって、体験コンテンツと呼ばれる複合的コンテンツを作成する。体験コンテンツを共有するためのプラットフォームでは、体験コンテンツをオーサリングするためのツールが提供され、ユーザは自身の体験を整理することができる。またユーザの友人関係を考慮し、日記形式での閲覧によって、体験コンテンツの共有を可能にする。さらには、ユーザの嗜好に合わせて複数の体験コンテンツを組み合わせることが可能であり、新たに作成された体験コンテンツを、実世界における将来の行動の参考にすることができる。

さらに、体験共有によって実現される応用例として、体験コンテンツを利用して実世界における体験を支援する、追体験支援システムを構築した。本システムは、他者、あるいは過去に自分が作成した体験コンテンツや、プラットフォーム上で複数コンテンツを統合した結果をATにダウンロードし、自身の体験をガイドする仕組みである。これにより、適切なタイミングで提示された情報を見ることができる。もちろん、任意のタイミングで閲覧システムを利用することもでき、地図上から体験の進行状況を閲覧することができる。追体験している際も各種文脈情報は記録されており、この追体験についての体験コンテンツを作成することもできる。

1 はじめに

「いつでも、どこでも、誰でも」情報ネットワークに接続することができるユビキタスネットワーク社会が、そう遠くない未来に実現されるであろう。そのような社会では、情報端末が常に人間の近くに存在する必要がある。これは、日常生活の中に情報端末が密接に関わり、生活の一部となることだと考えられる。

ウェアラブルコンピューティングや、モバイルコンピューティングの分野では、情報端末を身に付けたり、常に持ち歩くことによって人間と情報端末の距離を縮めているが、情報端末の小型化・高性能化が進んでも、人間が持ち歩くには限界があるだろう。また、情報端末を持ち歩くだけでは、人間の物理的な行動に連動させて情報処理を行い、さらにその結果を直接的に行動に対して反映させることには、限界があると考えられる。たとえば、自分が気づいていないところから危険が迫っている場合に、回避を促すように通知することはできても、実際に回避するように動くことはできない。混雑していたり、見晴らしの悪い状況でも、通信を利用して周囲の状況を把握し、我々の日常生活一般を支援するシステムの開発が望まれる。

日常生活の中での情報端末と人間のあるべき関係を導き出すには、人間の生活における基本的な要素を捉える必要があるだろう。その要素のひとつとして「移動」が挙げられる。われわれは、生活の大部分において「移動」しなくてはならない。ここから人間と情報端末の新たな関係を見出すために、日常的な個人用の移動体そのものを情報端末とするやり方が考えられる。そのような移動体の一つとして、われわれはAT (Attentive Townvehicle)と呼ばれる、情報化された個人用移動体を開発している

ATが搭乗型情報マシンであることの利点は、移動に伴う環境の変化に応じて、暗黙的に処理を行うことができる点である。たとえば、周囲に障害物が多い場合は速度を抑えるといった操作感の調整や、それまでに訪れた場所や情報アクセスなどの履歴を考慮することで、提示する情報を変化させるといったことが挙げられる。このように、搭乗者である人間は、特に意識することなく、実世界状況や文脈に合わせて、その時点で最適な情報サービスを受けることができる。

さらに、もう一つの利点は、AT間の通信による情報交換が可能な点である。情報を自分だけで保持しているのではなく、多くの人が共有することができるようになれば、情報そのものの価値がさらに高まると考えられる。そこで、ATにおけるネットワークでは、周辺情報の収集・配信を行うサーバが存在し、情報共有のための基盤を提供している。相互にコミュニケーションをとることによって、情報に新たな価値を加えることができると思われる。

ここで、コミュニケーションについて考えてみると、一般的には実際に会って会話したり、携帯電話で話をするなど、リアルタイム性の強いものを思い浮かべるだろう。そのなかで話題となるのは、起こった出来事のような自分の経験であったり、それについてどう思ったのか、何を考えたのかという意見のようなものであろう。実際の出来事と、それに対する主観的な意見を総合して「体験」と捉えると、コミュニケーションによって体験を伝え、共有しているということができる。しかしながら、体験とは過去から現在まで様々なものがあり、もう会うことのできない人の体験を、直接その人から伝えてもらうことができない。

体験を記録し共有することができれば、体験記録をベースとして、時間を超えたコミュニケーションが可能となる。これは、新たなコミュニケーションと呼ぶことができるであろう。

ここで、体験を記録するには、我々の生活と密着した情報端末が必要である。さらに、体験を整理し、万人が閲覧できる形で共有するための基盤が必要である。そこで我々は、ATをコミュニケーションツールとして捉え、実世界状況に依存した情報を利用して体験記録を作成し、共有・再利用するシステムの構築を目指している

体験記録の利用についての関連研究としては以下のようなものがある。ユビキタスセンサやウェアラブルデバイスを使い、実世界のインタラクションを記録する体験キャプチャシステムは、記録したものをインタラクション・コーパスとして分析し、分析結果を使って行動記録を要約したり体験メディアとして表現する仕組みである。ウェアラブルカメラを利用して体験映像を記録するライフログは、マイクや様々なセンサを利用して文脈情報を記録し、文脈ベースの検索システムを提供している。Living mapは、GPSと写真を利用して日々の生活を記録し、マップ上で関心の近いユーザと共有することによって、コミュニケーションを行う仕組みである。ウェアラブル日記は、RFIDタグを利用して映像と実世界対象物を関連付け、その対象物を介して映像を共有する仕組みである。これら関連研究についての詳細は5章で述べることにするが、以上のことから注目すべきは、実世界での活動を文脈として体験記録の共有を図るという点と、体験記録の利用方法である。

まず、映像ベースの体験記録についての主な課題は、いかにして必要な部分を検索するかという点である。そのため、環境設置型端末やウェアラブル端末を利用して、検索対象となりうる文脈情報を映像に関連付けて記録している。しかしウェアラブル端末では、自身を中心として詳細な情報を取得することが可能であるが、小型化・高性能化が進んでいるとはいえ、センサを増やせば増やすほど、動きそのものに支障をきたすと考えられる。また、体験キャプチャシステムで利用されているような環境設置型端末は、ある特定の場所に関する記録をとることには優れている反面、その場所を離れると記録できないといった問題や、記録された情報をユーザが容易に利用できない可能性がある。その例として、防犯カメラの映像が挙げられる。

次に、体験記録の利用方法について考えてみる。他者の体験記録を閲覧することは、未経験の事象に対する情報を獲得するのに効果的な方法である。これを仮想的な体験として捉え、追体験と呼んでいる研究も存在する。しかし、実世界における人間の体験を扱う場合、体験記録は実世界に強く依存しており、その利用効果を最大にするためには、実世界への関連付けが必要である。他者の体験を自身の実世界状況に反映させることで、自身の行動をより効果的にすることができると思われる。

情報端末として移動体であるATを利用する場合、その制御権は自分自身にあるため、記録した情報をユーザ自身が管理することができる。そのため、環境設置型端末に見られるような、情報アクセスに関わる問題を回避することができる。また、情報端末自身が移動するための機能をもつので、センサ類を増やすことによって動きを妨げられることもない。そこで本研究では、体験記録を利用した実世界での体験を追体験と定義し、ATが収集する文脈情報を利用して、自身の実世界状況に応じて情報を提示を行う。これにより、自身の体験を効果的にすることができると考えられるさらに、搭乗型情報端末であるATを利用することによって、行動に対するアドバイスや示唆のほかに、位置や方向といった動作に関する部分まで、支援することが可能となる。

一方で、2003年に登場したFriendsterをきっかけにソーシャルネットワーキングサービス(SNS)と呼ばれる分野が大きな盛り上がりを見せている。SNSとは、「友達の友達は皆友達だ」という考え方に基づき、人々の「つながり」を重視して、趣味や嗜好、仕事関係、男女関係などの電子的な構築をサポートするサービスである。別の言い方をすれば、社会的ネットワークをオンラインで構築するためのサービスを提供するものである。SNSでは、インターネットの特徴でもある「匿名性」を排除するために、会員からの招待状が無ければ会員登録ができない制度を設けることによって、「信頼できる」「安心できる」コミュニティの提供を目標としている。また近年では、インターネット上でWeblogが流行しており、SNSでも、Weblogを書く仕組みが用意されている。SNSでは、自分を中心とした友達関係を利用して、公開ポリシーを設定することができる。

体験共有とプライバシー保護は表裏一体の問題である。しかしながら、SNSでは、公開する対象を制限したり、趣味や嗜好に特化したコミュニティを形成することによって、情報の共有を促進していると考えられる。そこで、体験共有にSNSの要素を組み込むことによって、プライバシー保護の機能を持たせながらも、情報共有の促進を期待することができると思われる。さらに、友人同士や、コミュニティ単位で体験記録を共有するということは、ある程度同じ文脈を持つ人同士や、趣味・嗜好が似ている人同士で体験記録を共有することになると考えられるので、体験記録を共有することによる効果を高めることができるであろう。

さらに、物理的な仕組みであるATを利用することによって、オンラインコミュニティにおける活動と、実世界での体験を密接に関連付けることが可能となる。たとえば、ある観光地での体験記録を関連するコミュニティ内で共有し、コミュニケーションを行うことによって、同じ観光地内で、さらに魅力的なものを見つけることができるかもしれない。あるいは、これからその観光地に行こうと考えているユーザは、コミュニティ内で共有されている情報を利用して、あらかじめプランニングしておくことで、より密度の濃い体験をすることができるようになるだろう。

以上の考察から、本研究では、ATを利用して作成された体験記録を共有するためのプラットフォームと、再利用のための仕組みを提案する。

本研究では、体験を「行動一般に対する主観的解釈」と定義する。そして、たとえば移動履歴や通信履歴などのような、ATによって獲得される様々な文脈情報に対して体験としての解釈を与え、共有のための情報を加えることによって、体験コンテンツと呼ばれる複合的コンテンツを作成する。

体験コンテンツの作成手順は、まずATに搭載されたセンサ類や、AT間、AT-サーバ間通信を用いて獲得した文脈情報と、映像・音声情報を関連付けることによって、体験記録のもととなるデータを作成する。この情報は任意のタイミングで体験コンテンツ共有プラットフォームにアップロードされ、プロファイル情報と関連付けられて、データベースに登録される。そして、共有プラットフォームにおいて提供されている、オーサリングツールを使用し、アップロードしたデータに対して、体験要素としての意味づけや、コメントの付与、体験要素に対する評価などを行う。これにより、体験は整理され、体験コンテンツとして共有可能となる。共有のために各個人のプロファイル情報には、友人関係が記述されており、これを利用して体験コンテンツの公開ポリシーを設定することができる。

体験コンテンツの閲覧には、日記形式のインタフェースが提供されている。また本プラットフォームでは、他者の体験コンテンツを閲覧しながら、自身の体験を立案するための、体験コンテンツ統合ツールが用意されている。これにより体験を取捨選択し、自身の体験をより豊かにすることが可能となる。

さらに、本研究では、体験コンテンツを再利用するための仕組みとして、実世界での体験を支援する追体験支援システムを構築した。本システムは、他者、あるいは過去に自分が作成した体験コンテンツや、プラットフォーム上で複数コンテンツを統合した結果をATにダウンロードし、自身の体験をガイドする仕組みである。これにより、適切なタイミングで情報提示を行ったり、任意のタイミングで閲覧システムを利用することができる。もちろん、追体験している際も各種文脈情報は記録されており、この追体験についての体験コンテンツを作成することができる。

本論文の構成は以下の通りである。

2章では、個人用知的移動体ATについて述べる。3章では、ATを利用した体験記録の獲得と利用方法について述べる。4章では、体験記録を共有するためのプラットフォームについて述べる。5章では、体験記録を再利用する応用例である、追体験支援について述べる。6章で関連研究について紹介し、7章でまとめと今後の課題を述べる。

2 個人用知的移動体AT

2.1 ATのコンセプト

個人用知的移動体AT(Attentive Townvehicle)は、搭乗者である人間や、自分を取り巻く環境に適応し、個体間通信によって協調的に動作可能な個人用の乗り物である。ATは物理世界と情報世界を連携するためのプラットフォームとして開発されている。ATに乗り込み、人間と情報端末が一体となることによって、特に意識することなく情報世界にアクセスすることができる。我々はこれを、搭乗型(マウンタブル)コンピューティングと呼んでいる。

ATにおける研究領域

図2.1: ATにおける研究領域

に示すように、ATにおける研究領域は多岐にわたっている。これは、人間と情報端末としての移動体の関係が密接であることに起因していると考えられる。その中で特に我々は、ATを中心として、搭乗者である人間、環境、他のATという要素間でのインタラクションに注目している。次に、図における4つの軸それぞれからの視点で解説する。

  • 環境とのインタラクション

    ここでいうところの環境とは、物理的環境(実世界)と情報的環境(情報世界)の2つの意味を持っている。物理的環境とは人間が本来の感覚や身体の運動を通じて、あるいはATがセンサやモータを使って認識あるいは作用できる現実世界の対象や状態を指しており、情報的環境とはATがアクセスできるコンテンツやサービスの集合を指している。具体的な研究課題としては、実世界対象物の認識手法や、実世界状況に応じた情報提示などがある

  • 移動体間のインタラクション

    ここでは、移動体同士を協調的に動作させる研究はもちろん、搭乗者まで含めてコミュニケーションを支援する研究まで、幅広く課題が存在する。詳細は後述するが、本研究は、搭乗者間でのコミュニケーションを体験としてとらえ、体験記録を共有・再利用することによって、人間の生活を豊かにすることを目指すものである。

  • 搭乗者とのインタラクション

    移動体がユーザの特性を把握し、次第に適応していくことにより、快適な移動手段を目指す、個人適応という研究課題がある。また、状況に応じた操作インタフェースを提供するということも考えられる。具体的には、より直感的な操作インタフェースを追求したり、非登場時に自動的に人間を追尾させるという研究も行われている

  • 個体としての自律性

    人間の日常生活において基本的な要素である、「移動」そのものを支援するために感覚機能を強化し、障害物回避を実現するというような、個体としての自律性を高める研究課題である。経路情報を利用した自動走行についての研究も行われている。

以上のようにATは自身に搭載されたセンサ類や、AT間、AT-サーバ間通信によって、様々なインタラクションを実現している。これらのインタラクション通して獲得された情報を利用して、搭乗者である人間や環境への適応を可能としている。

2.2 システム構成

2.2.1 ハードウェア

にATの外観を示す。ATの駆動系には電動車椅子用のモータと車輪が利用されており、車体はアルミ材で構成されている。ATは屋内での利用も想定して、 車体は一般的な扉やエレベータの入り口を通り抜けることができる幅に抑えられている。

個人用知的移動体AT(左:AT3号機, 右:AT8号機)

図2.2: 個人用知的移動体AT(左:AT3号機, 右:AT8号機)

AT3号機は立ち乗り専用機であるが、AT8号機はその形状を変化させ、座り乗りが可能となっている。走行は主にペダルによって制御するが、AT8号機では、加重によって走行の加速度を制御する、ステップホイールと呼ばれる新型デバイスを使用している。これについては後述する。

システム構成

図2.3: システム構成

にシステム構成図を示す。ATの制御には、モータ制御用PCとネットワーク制御およびコンソール用PCの2台のPCが用いられている。それぞれのPCの主な役割は以下の通りである。

  • ペダルなどから取得した走行のためのパラメータや、コンソールPCから取得した制御コマンドなどに基づいてモータの制御を行う。

    モータ制御用PC

  • ネットワーク制御およびコンソール用PC

    モータ制御用PCから制御情報を受信し、Javaアプレットで実装されたコンソール上に表示する。その他にコンソール上では、カメラのコントロールや、ATの遠隔操作が可能であるまた、サーバとコネクションを張り、様々な情報を送受信したり、サーバを介したAT間通信を行う。

ATを構成する主なセンサ・デバイスと、その使用目的を表に示す。走行には、左右のペダルに装備された傾斜角度センサを利用して、ペダルの傾きを測定し、速度や進行方向を決定する。このペダルには、圧力センサが取り付けられており、左右両方のペダルに足が乗っている状態のときだけ、モータを制御することが可能となっている。ペダルの傾斜角度センサとは別に、3軸角度センサが装備されており、坂道などによる車体の傾きと、ペダルの傾きとを区別するための手段としている。これにはこのセンサのpitchが利用され、このほかにもyawやrollを測定することができ、自律走行における車体の方向を推定するために利用される。

物理的環境へのアクセス手段として利用されるセンサとしては、超音波センサ、PSD測距センサ、RFIDタグリーダなどが搭載されている。これらのセンサを用いて、移動に伴う環境の変化に応じて、暗黙的に情報を獲得することができる。また、情報端末自身が移動するための機能を持つため、これらの機器を持つことによる人間の行動に対する負荷を軽減している。さらには、獲得された情報から実世界の状況を考慮し、物理的な行動に反映させることで人間の行動を支援することが可能となっている。

表2.1:ATの装備する主なセンサ・デバイス

中の(※)は、我々が独自開発したセンサモジュールである。なお、タグベストは搭乗者が着用するものである。以下でそれぞれの機能と利用方法について述べる。

  • PSD-IRアレイ

    に示すように、PSD-IRアレイは、前方の8方向に対して搭載された、赤外線送受信部と、前にある物体との距離を測定するPSDセンサから構成されている。後述するタグベストから発信されるIDを受信することによって、特定の人間を追尾する、ヒューマントレーサと呼ばれる、自動追尾システムを実現している

  • タグベスト

    に示すように、タグベストは、赤外線送信部とコマンド送信用のボタンを備えている。ユーザが装着しIDを発信することによって、ATは搭乗者かどうかを判断することができる。

  • 搭乗者識別モジュール

    右下のデバイスは、タグベストから送信されるIDを受信し、ATにログインするための搭乗者識別モジュールである。ATに搭乗していることを圧力センサで認識し、このモジュールでIDを受信することによって自動的にログインすることができる。

  • ステップホイール

    ステップホイールは、図に示すように、周囲8方向に対して圧力センサを備え、中心にステップスイッチと呼ばれるボタンを備えた、ATの制御を行うためのインタフェースである。加重によって加速度を制御する仕組みになっており、前後へ加重を加えることで前進後退を制御し、左右に加重を加えることで、それぞれ左右へ回転することができる。

PSD-IRアレイ

図2.4: PSD-IRアレイ

タグベストと搭乗者識別モジュール

図2.5: タグベストと搭乗者識別モジュール

ステップホイール

図2.6: ステップホイール

2.2.2 ソフトウェア

次に、ソフトウェアの観点からATの基本機能について解説する。なお、ここではAT単体についてのみ解説し、ネットワーク構成やアプリケーションに関しては後述する。

ATに搭乗する際には、ユーザ認証が行われる。これには前節で述べたタグベストと搭乗者識別モジュールを利用し、赤外線によって認証が行われる。あわせて、圧力センサを利用して搭乗が検知されると、ログイン完了となる。AT内にはプロファイルが保存されており、ログインによって操作性などを個人に適応させることができる。具体的には最大速度の制限や、モータの拡張制御が含まれる。

ここで、走行に関する基本システムについて述べる。 ATの走行は、前後方向の速度と、回転方向の速度によって制御される。ペダルによる走行制御の場合、左右のペダルに取り付けられた傾斜角度センサの値の、和によって前後方向の速度を、差によって回転方向の速度を決定する。そして、具体的な走行パラメータは、搭乗状態になった際のペダルの角度を初期値として、相対的な角度変化を計測することによって決定される。

ログインした状態で非搭乗状態になった場合、ATの走行モードは自動追尾モードに変更される。これはヒューマントレーサシステムと呼ばれ、前節で述べたPSD-IRアレイとタグベストを用いて実装されている。ユーザが装着したタグベストから送信された、赤外線信号としてエンコードされたIDを、PSD-IRアレイの赤外線受信器で受信し、デコードする。このとき、どの受信器で受信したかによってユーザのいる位置を推定し、その方向に関するPSD測距センサーを用いてユーザとの距離を測定する。これを、ユーザのATに対する相対位置として、速度・方向の走行パラメータを決定する。以上のようにしてユーザの追尾を実現している。

ATのメインコンソール

図2.7: ATのメインコンソール

ATのコンソールは、図のように、一般的なWebブラウザを利用して実装されている。これにより、通常走行の際はATに搭載されたPCで各種情報を表示し、遠隔操作の際は別の小型PCを利用するといったように、役割に応じて柔軟に対応することができるようになっている。ここで、左側のフレームでは、センサ情報や走行状態などの表示や、モード切替などの操作インタフェースが提供されている。右側のフレームには、カメラ映像と運台・ズーム制御のためのインタフェースが提供されている。

2.2.3 ネットワーク

ここでは、ATの特徴のひとつである、ネットワークの基本システムについて述べる。

ネットワーク構成

図2.8: ネットワーク構成

に、ATにおけるネットワーク構成図を示す。ATにおけるネットワークでは、グローバルネットワークを想定しており、情報配信を行うサーバの存在が前提となっている。このサーバは、ある特定の地域を統括するような形での存在を想定しており、AT間通信の基盤を提供するとともに、サーバクライアント型のアプリケーションを提供する。具体的なアプリケーションについては、第4章で述べる。統括サーバ以外には、たとえば美術館のような施設単位で、情報を配信するサーバが複数存在している。

ATにログインすると、統括サーバとのコネクションが確立され、情報配信を受けることができるようになる。統括サーバは、コネクションを確立しているATや、施設サーバの情報を収集し、配信するATの位置情報を考慮したうえでリストを作成し、配信する。この仕組みにより、近くにいるATの情報や施設の情報を容易に取得することが可能である。もちろん、他のATに対してメッセージを送信したり、複数のATに対して情報をブロードキャストすることもできるようになっている。

しかしながら、直接AT間でネットワークを構築することで効果を発揮するような場面も考えられる。具体的には、センサ情報をやり取りして協調的に動作させることが必要な場合である。これには、衝突回避や、ツーリングのように隊列走行を行う場面が想定される。衝突回避のような緊急の場面では、暗黙のうちにAT間でコネクションを確立し、互いの走行を制御する必要がある。この場合は、走行状態をサーバが監視し、衝突の恐れがあるAT同士にコネクションを確立させるようなコマンドを発行する。隊列走行をする場合は、前もって搭乗者同士のネゴシエーションがあると考えられるので、ATからサーバ経由で、相手のATに対して、P2Pネットワークを構築するためのリクエストを発行し、承諾されてからコネクションを確立するという手順を踏むことになる。

2.3 体験共有のためのコミュニケーションシステム

ATは単なる移動型情報端末ではなく、新たなコミュニケーションツールでもある。つまり、ATの搭乗者間でやり取りされる情報は通常の携帯電話等でやり取りされる情報よりもはるかにリッチなものである。そのような情報には、文字や音声や映像の他にATに搭載された各種センサ情報やモータの制御情報などが含まれる。

ATを利用したコミュニケーションを体験として捉えると、この仕組みを用いた新しい情報サービスとして、体験共有が挙げられる。

そこで本節では、ATにおける体験共有のためのコミュニケーションシステムについて述べる。具体的には、AT-サーバ間、ATを介した搭乗者間でのコミュニケーションシステムについて解説する。

2.3.1 AT-サーバ間コミュニケーションシステム

AT-サーバ間コミュニケーションシステムの構成図

図2.9: AT-サーバ間コミュニケーションシステムの構成図

に、AT-サーバ間コミュニケーションシステムの構成図を示す。

統括サーバは、コネクションを確立しているATの情報を収集するために、httpを利用してクローリングを行う。これには、Jakarta Commons HttpClientを利用している。具体的には、各ATではhttpサーバが立ち上がっており、統括サーバ上で動作するクライアントプログラムが、一定間隔でATにアクセスし、位置情報やプロファイル情報が記述されたファイルを収集している。

収集された位置情報は、以下に示すようなXML形式で出力され、マップを提供するために使用される。


 <markers>
  <marker>
   <history lat="35.154556240825265" lon="136.9644820690155" dir="-1"/>
   <history lat="35.1545913284819" lon="136.96438550949097" dir="-1"/>
   <history lat="35.15462641612339" lon="136.96434259414673" dir="-1"/>
    ・・・	
  </marker>
  <marker>
   <history lat="35.154731678957034" lon="136.96417093276977" dir="-1"/>
    ・・・
  </marker>
   ・・・
 </markers>

上記のXMLにおいて、ひとつのmarkerタグに対して、1台のATが対応しており、各ATの移動軌跡として、緯度、経度、その時点での方向を、historyタグの属性として記述する。内部的には、移動軌跡の情報は一定サイズのキューに蓄えられている。マップの作成には、Google Maps APIを利用している。Google Maps APIとは、Google社が提供しているGoogleMapsを利用するためのプログラマ用インタフェースであり、GoogleMapsの多彩な表現を利用したコンテンツを作成することができる。

また統括サーバは、それぞれのATに対して収集した情報をカスタマイズして配信する。具体的には、配信対象となるATの位置情報を考慮して、周辺にいる他のATや、施設などをリスト化し、ID情報やホームページのURLのようなリンク情報とともに配信する。

近隣情報のリスト表示

図2.10: 近隣情報のリスト表示

配信された情報は、図に示すように、ATのコンソールに表示される。これにより搭乗者は、コンソールから対象の詳細情報へアクセスしたり、他のATに対してメッセージを送ることができる。以下で、情報アクセスの例を示し、メッセージの送受信については、次の節で述べることにする。

2.3.2 AT搭乗者間コミュニケーションシステム

本節では、AT間でコミュニケーションを行うためのシステムについて述べる。図に、AT間コミュニケーションシステムの構成図を示す。AT間でのコミュニケーションには、暗黙的な情報交換や制御情報のような下位レベルのセンサ情報をやり取りするものと、搭乗者を含めてメッセージの送受信や、カメラ映像の交換配信をするようなものの二種類が存在する。前節で述べたように、前者についてはP2Pでコネクションを確立して通信が行われ、後者については、サーバを介して通信が行われる。

AT搭乗者間コミュニケーションシステムの構成図

図2.11: AT搭乗者間コミュニケーションシステムの構成図

まず、AT間で暗黙的に行われるコミュニケーションについて述べる。前節で述べたように、やり取りする情報の粒度が細かく、サーバを介した通信では、遅延が生じる可能性がある場合には、AT間でP2Pのネットワークを構築する。たとえば、制御情報のような下位レベルのセンサ情報のやり取りを利用した連携動作や、移動履歴を利用した半自動走行を行う場合がこれにあたる。

近距離通信には赤外線を利用することもできる。PSD-IRアレイを利用した赤外線の送受信によって、互いのIDを暗黙的に交換し、近くにいたATのIDを、サーバから通知される情報よりも細かい粒度で、獲得することができる。

次に、AT搭乗者間でコミュニケーションを行うためのシステムについて述べる。図に示すように、AT間でメッセージを送受信する場合は、必ず統括サーバを介して行う。各ATに対しては、相手の搭乗者IDが配信されており、送信先のIDと共にメッセージを統括サーバに対して送信する。統括サーバは、ATとのコネクションを確立する際に、送信先アドレスと搭乗者IDのテーブルを作成しており、これを基にしてメッセージを振り分ける。複数のATに対してメッセージを送信する場合には、それぞれの搭乗者IDを選択することで、サーバが自動的に振り分けを行う。

統括サーバからATに配信される情報は、サーバが収集した情報を全て含むわけではない。たとえば、プロファイル情報のような個人情報は、すべてのATに対して配信するのはセキュリティ上望ましくないし、すべての人が必要としている情報とも限らない。施設に関する情報について詳細が欲しい場合は、Webサイトにアクセスするなどすればよい。また、プロファイル情報に関しては、お互いの承認が得られた上で、詳細な情報を交換することが望ましい。

メッセージをやり取りする際に、知り合いはもちろんであるが、自分が今から行こうとしている場所にいる人に、状況を教えてもらうような場面が想定される。たとえば、混雑状況のような、施設側が配信する情報では、遅延などによって役に立たない場合があるが、このような情報を、メッセージのみだけではなく、お互いのカメラ映像を配信しあうことによって、より詳細に取得できるようになる。そこでATは、カメラ映像の配信をリクエストし、承認が得られるとお互いのプロファイル情報と共に、カメラ映像を表示することができる。またこの際に、相手との音声通話が可能となる。図に、そのためのインタフェースを示す。左側のフレームに相手のプロファイル情報、右側のフレームに相手のカメラ映像が表示されている。

カメラ映像の交換配信

図2.12: カメラ映像の交換配信

3 ATにおける体験の獲得と共有

本章では、ATのコミュニケーションシステムを利用した、新たな情報サービスとしての体験共有について述べる。そのためにまず、体験を共有する目的と意義について議論した上で、具体的に体験を共有するための仕組みとその利用方法を述べる。次に、ここで扱う体験の要素を定義し、その体験要素を構成する文脈情報を獲得する仕組みについて述べる。最後に、獲得した情報を体験としてデータ化するための仕組みについて述べる。

3.1 体験共有と利用

角らは、博物館や展示会のような知識交換の場であるイベント空間において、他の参加者と時空間を共にすることによって、言葉では言い表せない、場の雰囲気や賑わいを共有することができるとしており、「体験共有とは、言語のみに頼った情報共有ではこぼれ落ちてしまった暗黙知を共有するための有力なアプローチ」と述べている。リアルタイムに場を共有し、互いの体験を共にする場合、 体験した人が、どのような文脈で体験にいたったのかということを理解した上で、どのような感想を持ったのかということを知ることによって、自身の体験をより効果的なものにできると考えられる。

もちろん、リアルタイムに場を共有している場合に限らず、過去にその場所を訪れた人の感想についても共有することができれば、体験共有の恩恵はさらに高まるだろう。そのためには、この暗黙知をいかにして記録するかということが課題となる。これについて角らは、体験を、「自らの身をもって何かを経験すること」とし、体験する人と対象物を観測対象とすることが必要である、と述べている。つまり、人間と対象物の間でなされたインタラクションを観測し、データ化することを課題としている。

しかしながら、もっと一般的な体験を考えてみると、たとえば、景色を楽しんだというような体験は、その対象物を観測対象とすることが難しい。また、体験をするなかで、その対象物をあらかじめ意識するということは少なく、同じことをしたとしても、体験者によって捉え方が異なることは十分に考えられる。これは、体験が個人の主観に大きく影響されているためだと思われる。

人間の実世界での行動を記録する手法として、ウェアラブルセンサを利用する方法がある。角らも、ウェアラブルセンサを利用しており、それに加えて、対象となる会場に環境設置型の端末を用意している。これによって、人間同士のインタラクションや、人間がどの展示物を見ていたのかといった、環境とのインタラクションを記録している。ウェアラブルセンサを利用する場合、視点の映像や触れたものなど、人間の細かい動作まで記録することができる。しかし、小型化・高性能化が進んでいるとはいえ、人間が身に付けるには限界があると考えられる。また、自分自身の映像を撮影することができないという問題がある。特に、昔の体験を思い出したいときには、視点映像よりも自分自身が映像の中に入っていた方が良いと考えられる。

環境設置型端末の利点は、客観的な視点から体験を観測・記録できる点である。つまり、自分自身が映像の中に入ることはもちろん、複数人がいたとしても、それらを一つの要素として捉えることができる。しかし、記録した情報へのアクセスに関して課題が残る。たとえば、防犯カメラの映像などがそれにあたる。

情報端末としてATを利用すると、情報端末自体が移動するための機能を持つため、センサの数や重量によって動きを妨げられるという問題を回避することができる。また、ヒューマントレーサシステムを利用することによって、自分を撮影することも可能である。もちろんこの場合に、複数人を撮影することもでき、自身の主観に応じて記録対象を選択することができる。さらに、ATによって記録される情報のアクセス権は、そのユーザにあるので、環境設置型端末に見られる、情報アクセスに関する問題も回避できる。

さらに我々は、体験を共有するための具体的な仕組みとして、近年盛り上がりを見せているソーシャルネットワーキングサービス(SNS)に注目した。SNSでは、人々の「つながり」を重視して、趣味や嗜好、仕事関係、男女関係などの社会的関係をオンライン上で構築するサービスを提供しており、インターネットの特徴でもある「匿名性」を排除するために、会員からの招待状が無ければ会員登録ができない制度を設けることによって、「信頼できる」「安心できる」コミュニティの提供を目標としている。SNSにおけるプライバシー管理の仕組みには、会員登録制のほかに、自分の友人関係を明示的に作成し、友人まで、友人の友人までといったように、情報公開の範囲を指定する方法がある。また、コミュニティと呼ばれる集合を形成し、あるトピックに対してメンバ内でコメントをやり取りする仕組みがある。

ここで注目すべきは、コミュニティという単位が、ある程度似た嗜好を持った人たちや、共通の目的や問題意識を持った人たちの集まりであるという点である。情報公開の範囲を指定するということは、コンテンツの公開を妨げるのではないかと思われがちであるが、コミュニティの中での情報共有が促進される方向に働いているとも考えられる。つまり、ある程度意識の高い人たちが集まることで、コミュニティの中での議論が活性化され、有用な情報が蓄積されていくと考えられる。また、公開されている情報を利用したいと考えたとき、どのような情報が共有されているのかということが明示的になっていることで、目的の情報にたどり着くことが容易となる。

このように、体験を共有することによって、体験にまつわる文脈を考慮しながら様々な視点から体験を捉え、自分自身の体験のための参考にすることができる。

また、コミュニティという、目的や個人の嗜好に基づいた集合のなかで体験を共有することによって、共有が促進され、議論を通してより洗練された体験を行うためのノウハウや、コミュニケーションによって新たな友人関係が生まれると考えられる。さらに、オンラインコミュニティでの活動を基にして、自分の実世界における体験を直接的に支援することができれば、これは、体験を共有することによって可能となる、新しい情報サービスということができる。

3.2 体験の要素

本節では、本論文における「体験」を定義し、体験を構成する要素について述べる。さらに、体験共有や再利用という文脈の上で重要となる要素についても議論する。

まずはじめに、「体験」の意味について考えることにする。手元にある辞書(岩波国語辞典)を引いてみると、体験とは、「自分が実地に経験すること」とある。さらに、経験とは、「実際に見たり聞いたり行ったりして、まだしたことがない状態から、したことがあるという状態に移ること」とある。このことから、「体験」を捉える上で重要な点は以下のことだと考える。

「実地に経験する」という点から、本論文では、体験者自身が主体となる、実世界における体験を扱うものとし、いわゆる仮想空間上の体験は扱わない。たとえば、バーチャルリアリティの世界の中で観光地を訪れたとしても、実際に訪れたものとみなすことはできない。

次に、「実際に見たり聞いたり行ったりする」ということは、一般的な行動をすることを意味している共に、それに対する人間の解釈を含んでいる。たとえば、何かを見たということは、ある特定の方向を向き、視界に入っているというだけではなく、そこに存在した対象物を認識していると考えられる。これは、同じことをしたとしても、解釈によって体験の意味が異なってくることを意味している。つまり、どのような体験をしたのかを意味する部分には、個人の主観的解釈によって与えられる影響が大きいことがわかる。

以上の考察から、本論文では体験を、「行動一般に対して主観的解釈を加えたもの」と定義する。

次に、体験を記録するという観点から見ることにする。体験に対して個人的主観によって与えられた解釈は、体験に至った動機付けや経緯、あるいはその体験を演出しているであろう周囲の状況などによって左右されるものである。したがって、体験を記録する際には、体験にまつわる文脈情報を記録し、その解釈に影響を与えた部分を明示する必要がある。そのため、体験を記録するためのシステムは、できるだけ多くの文脈情報を獲得し、構造化することによって、人間が該当部分を明示する手助けをすることが必要である。

さらに、体験を共有し、利用するために必要になる要素について考えてみると、体験記録は、何を体験したのかという情報に加えて、誰が体験したのかということも重要な要素となってくる。つまり、体験が主観的なものであるため、体験した人のバックグラウンドをきちんと理解したうえで、体験を共有することが必要である。利用という視点で見た場合は、これに加えて、体験する際に暗黙的に存在していた条件も考慮する必要がある。

たとえば、他者の体験記録を参考にする場合、その体験が時間的に制約があるものだとしたら、当然それを考慮しなくてはならない。また、突発的に起こったイベントの場合、もう一度同じことが同じ場所で起こる可能性は、非常に低いと考えられる。しかしながら、有名な場所であれば、同じことが起こらなくても見に行ってみたいと思うのも、人の心理である。つまりこの場合に重要なことは、体験記録の利用方法に対して、その効果を左右する情報は何かということを、利用者に対して提示することである。

また、時間的な制約以外にも、どんな趣味を持つ人間が体験したものなのかといった、プロファイル情報を考慮する必要があるだろう。プロファイル情報を考慮して、嗜好が自分と似ていれば、共感できる部分が多いかもしれないし、まったく異なる場合は、異なる視点で体験を捉えることができるかもしれない。このように、他者の体験を参考にする場合は、まったく同じ状況を作れないからといって、無意味なものになってしまうとは限らない。むしろ、体験を共有することによって、日常生活の中で新たな発見を見出すことができれば、我々の生活は、より豊かなものになると思われる。

3.3 文脈情報の獲得

前節の通り、体験記録は様々な文脈情報と主観的な情報を組み合わせることによって構成される。したがって、体験にまつわる文脈情報を、より詳細に記録することが望まれる。ここでは、情報端末としてATを利用することによって、どのような文脈情報を獲得することが期待できるかについて述べる。また、そのために想定される環境についても述べる。なお、ここでは、自動的に記録される情報についてのみ言及し、コメント付与などのような、主に体験を整理するために利用される情報については、次の節で述べる。

大まかにわけて、次のような文脈情報の獲得が期待される。それぞれについて具体的に述べる。

  • 位置に関する情報

    位置に関する情報を取得するために、 建物や部屋の入り口のような場所に、RFIDタグの設置を想定している。このRFIDタグには、その場所を特定するためのIDが記述されており、そのIDをクエリとしてデータベースを検索することによって、詳細情報を獲得することができる。これにより場所に意味を持たせ、たとえば緯度や経度のようなグローバルな位置情報だけでなく、建物の中の部屋のようなローカルな位置情報まで、詳細に獲得することができる。

    さらに、建物の入り口にRFIDタグを設置することによって、屋内と屋外でのモード切替を行うことができる。特に屋内では、GPSを利用することができないので、ATが保持する位置情報を補正するために利用される。具体的には、部屋やエレベータなどの特定の場所の出入り口付近への設置を想定しており、獲得した位置情報と、モータ監視装置を利用して算出した移動距離を考慮して、自分自身の大まかな位置をハイライトするような地図を提供することにしている。

  • ATにログインすることによって、統括サーバから近隣情報の配信を受けることができるが、この際に、プロファイル情報をサーバに登録している。作成される体験記録には、この登録されたプロファイルが関連付けられている。プロファイル情報の詳細については、次の章で述べる。

    プロファイル情報

  • 映像・音声情報

    映像・音声情報は常時記録され、映像情報はMPEG-4に、音声情報はMP3にリアルタイムエンコードされ、AT内に蓄積されていく。映像・音声情報は一定時間ごとに分割されながら記録され、FTPを利用して随時サーバにアップロードされる。

  • アクセスなどの情報閲覧履歴

    サーバから配信された情報などを基にして、Webページにアクセスした場合、そのURLや時間、そのときの位置情報などが共に記録される。

  • AT間通信履歴

    サーバを介したメッセージのやり取りや、カメラ映像の交換配信、音声通話が行われた場合、相手のユーザIDと共に記録される。また、赤外線による近接通信を利用して暗黙的にIDを交換することもできる。

これらの文脈情報は、XMLファイルとしてAT内に蓄積され、任意のタイミングでサーバにアップロードされる。このサーバは第2章で述べた統括サーバであり、FTPサーバが立ち上がっている。これにより、ATはFTPを利用して、任意のタイミングで獲得した各種の情報をアップロードすることができる。容量の大きい映像情報に関しては、短い周期ごとに撮影-アップロードを繰り返して行い、サーバ側で結合し、ストリーミングビデオへのエンコードが行われる。アップロードされた情報は随時、データベースに登録される。

3.4 体験の構造化

ATによって獲得される各種のセンサ情報や、通信履歴のような情報は、その場所で起こった事実や、搭乗者の行動を機械的に収集したものでしかない。この文脈情報に対して人間の解釈を与えることによって、体験としての意味を持たせることになるが、センサデータの羅列を、すべて人間の手で整理、構造化することは困難である。さらに、映像については常時記録しているため、インデックス情報が適切に作成されていなければ、膨大な映像データを利用することができなくなる。そのため、文脈情報を取得する段階から、ある程度自動的にインデックスを作成しておくことが望ましい。

そこで、ATによって獲得される各種の文脈情報は、ATによってある程度自動的にインデックスが作成され、AT内に蓄積される。建物の出入りであれば、建物IDや出入りした際の時刻、位置情報が記録され、通信履歴であれば、相手のIDが記録される。記述形式や、具体的な例については、次の章で述べる。

自動的に取得されるインデックスだけではなく、手動でインデックスを付与することもできる。この場合も時間情報や、位置情報を関連付けて記録される。体験の最中にインデックスを付けておくことで、後から体験を整理する際に有効な情報とすることができる。手動インデックスを付与した場合は、自動インデックスと並列に記録される。位置情報については、インデックスを付ける際の開始時刻に、ATが保持している位置情報を記録する。これについても、次章で具体例をあげて解説する。ここでは、手動によってインデックスを付けるためのインタフェースについて説明する。図にそのためのインタフェースを示す。

映像に対してインデックスを付けるためのインタフェース

図3.1: 映像に対してインデックスを付けるためのインタフェース

評価・コメント付与インタフェース

図3.2: 評価・コメント付与インタフェース

中Cの部分には、インデックスのリストが表示されており、評価を行いたいものを選択することによって、図に示すインタフェースから、評価・コメントを付与することができる。図に示すように、5段階評価によってお勧め度を入力することができ、テキストコメントを入力することができる。これにより、体験をしたその場で、体験に対する主観的な情報を入力することができるようになっている。

しかしながら、体験の最中にこれらの情報を入力することは、入力忘れを防ぐ一方で、スムーズな体験を妨害する可能性がある。また、撮影した映像を見ながら、ゆっくりコメントをつけたい場合もあるだろう。そのために、Webベースのシステムで体験をオーサリングするための仕組みを用意している。これについては第4章で述べる。

4 体験コンテンツ共有プラットフォーム

本研究では、ATによって獲得される様々な文脈情報に対して、体験としての解釈を加え、コンテンツ的要素として共有のための仕組みを付与することによって、体験コンテンツと呼ばれる複合的コンテンツを作成する。体験コンテンツを共有するプラットフォームでは、体験コンテンツの閲覧システムに加え、体験コンテンツをオーサリングするためのツールを提供している。

本章では、体験コンテンツの詳細について述べた後、体験コンテンツ共有プラットフォームの基本システムと、プラットフォームが提供するアプリケーションについて述べる。

4.1 体験コンテンツ

前章で述べたように、本研究では体験を、「行動一般に対する主観的解釈」と定義した。従来の体験記録は、この行動一般を、体験にまつわる文脈情報として記録したものである。体験を共有するためには、パーソナルな情報である体験記録を、万人が利用するコンテンツとして扱う必要がある。そこで、体験記録に対して、作成者を明示したり、公開ポリシーを設定する必要がある。さらに、閲覧に適した構造や、閲覧のための仕組みを用意する必要があると考えられる。ここではこれらの要素を、コンテンツ的要素と呼ぶことにし、図に、これらの要素間の関係を示す。

体験コンテンツを構成する要素

図4.1: 体験コンテンツを構成する要素

文脈情報とコンテンツ的要素の関係は、共有される情報と、共有のための仕組みと考えられるので、一般的な情報共有を構成する要素であるといえる。次に、文脈情報に対して主観的解釈を加えたものが、従来の体験記録である。さらに、ここで言うところの主観的解釈とは、体験に対するラベル付けや、内容についての言及を意味している。内容についての言及とは、たとえば日記のような、個人の意見や感想などを綴ったものである。つまり、その中でコンテンツ的要素を持つものが、Weblogなどのような、CGM(Consumer Generated Media) である。

以上のことから、体験コンテンツは、文脈情報・主観的解釈・コンテンツ的要素を併せ持つ、複合的コンテンツである。

次に、体験コンテンツによって、どのように体験を表現するかについて述べる。図に、体験コンテンツによる体験の表現方法を示す。体験コンテンツは、イベント定義XMLと体験定義XMLと呼ばれる、2つのXMLから構成される。全体の構成について述べた後、この2つのXMLについて、順に解説する。

体験コンテンツによる体験の表現

図4.2: 体験コンテンツによる体験の表現

中のイベントとは、ATによって獲得された、インデックスの付いた文脈情報の一部分を意味している。これは前章で述べた、自動あるいは手動で付与されたインデックスである。リソースとは、プロファイル情報や映像情報、さらに位置情報や制御情報のような下位レベルのセンサ情報一般を指している。リソース参照とは、該当するリソースを特定するための識別子である。イベント定義XMLは、センサ情報や映像情報に対して、意味を持つ最小単位であるイベントによって構成される。

イベント定義XML

図4.3: イベント定義XML

に、イベント定義XMLの具体例を示す。まず、eventDef要素のid属性によって、各種リソースへの参照を記述している。information要素には、オーナーのIDやストリーミングビデオへのURL、さらにこの記録が該当する開始・終了時間が記述されている。events要素の子要素であるそれぞれのevent要素が、一つのイベントを表現している。それぞれのevent要素では、type属性によって、そのイベントの種類を表現している。具体的には、図中のAのようにtype=cpのものは、建物への出入りを表現している。Bのようにtype=cameraのものは、カメラ映像を交換配信したことを表しており、その際に行われたチャットの記録が、子要素としてmsg要素で表現されている。Cのようにtype=indexのものは、手動によって付けられたインデックスである。Dのようにtype=webのものは、ホームページなどへのアクセスを表している。このように、イベント定義XMLはインデックス情報としてのイベントを、時系列順に並べたものである。

イベントに対して、主観的解釈を与えたものが体験要素である。つまり、体験定義XMLは、イベント定義XMLによって表現されたセグメントに対して、体験としての解釈を与えるためのものである。したがって、イベントとして定義されていても、体験要素としての意味を与えられないものが存在する。この場合、他者に対して公開されることは無い。そして、体験要素に対しては、コメントや評価のような情報を付与することが可能であり、これも主観的解釈の一つとして捉えられる。この体験要素の集合によって一つの体験は、一つの体験記録として表現される。また、ある体験記録を要素とする、さらに上位の体験記録を表現することもできる。

体験定義XML

図4.4: 体験定義XML

に、体験定義XMLの具体例を示す。一つのelement要素によって、一つの体験要素を表現し、一つのexperience要素によって、一つの体験記録が表現される。それぞれ順に解説する。

一つのelement要素には、該当するイベントへの参照がresource属性として記述される。また、その体験要素に対する評価・コメントがそれぞれ、score要素、comment要素によって記述される。体験するにあたって制約条件がある場合、restriction要素に記述を行う。

一つのexperience要素には、その体験記録を構成する体験要素が、item要素によって記述される。item要素のresource属性が、体験要素への参照であり、ここでexperience要素を指すことによって、体験記録を一つの体験要素として、新たに体験記録を定義することができる。ここでも、評価・コメントを記述することができる。体験記録を定義する際には、体験要素間の関係をrelation要素よって記述する。bagであれば、その順番に関する制約は特になく、seqの場合は順番を考慮する必要がある。包含関係はcontainとして表現し、その場合はparent属性として親となる体験要素のidを記述する。

次に、リソースの記録方法、形式について述べる。具体的には、個人プロファイルの記述形式、映像・音声情報の記録形式、センサ情報の一例として移動履歴について述べる。

個人プロファイルRSS

図4.5: 個人プロファイルRSS

に示すように、channel要素内のtitle要素として、そのユーザの個人IDが記述され、description要素として、簡単な自己紹介を記述する。また、channel要素愛のitems要素に、友人として登録されている人の、RSSを参照するためのURLが記述され、item要素として、友人の登録情報を記述する。体験コンテンツの公開ポリシーには、ここに記述された友人に関する情報を利用する。第2章で述べた、統括サーバによる、近くにいるATリストの配信は、このプロファイル情報を収集することによって行われる。そのために利用される位置情報を、このファイル内で随時更新しており、図中の


<at:latitude>, <at:longitude>, <at:direction>

という部分がそれぞれ、緯度、経度、方位を示している。

映像情報は、MPEG-4にリアルタイムエンコードされ、記録される。音声情報は、映像データ圧縮方式のMPEG-1で利用される音声圧縮方式の一つである、MP3(MPEG-1 Audio Layer-3)にエンコードされ、映像情報と共に記録される。映像・音声情報はAT内に蓄積されていき、ある一定時間撮影すると、その部分だけサーバにアップロードを行う。分割された映像・音声情報は、サーバ側で結合され、ストリーミングビデオに変換される。

移動履歴については、以下に示すような形式で緯度、経度、方向に加え、時間情報がXML形式で記録される。これは、サーバが収集する情報よりも粒度が細かいもので、後にオーサリングシステムから、その日の移動経路を閲覧することができる。


<history date="05-01-18" time="15:00:02" lat="35.154556240825265" lon="136.9644820690155" dir="-35.1">
</history>

4.2 システム構成

体験コンテンツ共有プラットフォームのシステム構成図

図4.6: 体験コンテンツ共有プラットフォームのシステム構成図

に、本プラットフォームのシステム構成図を示す。ATにおける体験共有のためのアプリケーションは、サーバクライアント型のシステムとして提供されている。ユーザはWebブラウザを利用してサーバにアクセスすることによって、各種のサービスを受けることができる。なお、第2章で述べたように、ATのコンソールもJavaアプレットを利用して、ブラウザ上で動作するように実装されているので、サーバに対して容易にアクセスできるようになっている。

体験コンテンツを参考にして体験を進める場合は、あらかじめ体験コンテンツをATにダウンロードしておく。そして、映像などの閲覧は、Webブラウザを介して行い、詳細な制御情報が必要な場合は、その都度サーバに問い合わせて取得する。体験コンテンツの利用に関しては、次の章で詳細に述べる。

体験コンテンツサーバ側には、映像情報、文脈情報、体験コンテンツ、個人プロファイル情報がデータベースに保存されている。映像情報については、アップロード後にストリーミングビデオに変換される。それ以外の各種情報は、PostgreSQLを利用したデータベースに保存される。サーバサイドの各種アプリケーションは、Javaサーブレットによって実装した。

前述の通り、体験コンテンツや、ATによって収集される情報は、XML形式で記録されている。体験コンテンツ共有プラットフォームは、Javaによって実装されており、JavaでXMLを扱うためのAPIやライブラリを利用しているため、プラットフォームとしての拡張性も高い。また、クライアントであるWebブラウザに出力する際、 XML文書に対してスタイルシートとしてXSLを適用して、HTML形式に変換している。詳しくは後述するが、体験コンテンツの閲覧インタフェースと、編集インタフェースでは、体験コンテンツの表示部分で、スタイルシートを変更することによって、異なるインタフェースを実現している。

4.3 体験コンテンツの閲覧と引用

体験コンテンツを閲覧する際は、Webブラウザを利用してプラットフォームにログインする。ログインすると、図に示すように、自分が登録した体験コンテンツのリストと、自分の友人が登録している体験コンテンツのリストが表示される。自分の登録したものであれば、編集・削除が可能である。また、両者とも同様の形式で閲覧が可能である。これにより、自分の体験コンテンツがどのように閲覧されるのかを確認することができる。

体験コンテンツのリスト

図4.7: 体験コンテンツのリスト

体験コンテンツ閲覧インタフェース

図4.8: 体験コンテンツ閲覧インタフェース

閲覧を選択すると、図に示すような閲覧インタフェースに切り替わる。左上のフレームには映像が表示され、左下のフレームには体験要素に関連付けられた位置情報に基づいて、アイコンがプロットされた地図が表示される。右のフレームには、体験記録の要素の一覧が表示される。閲覧は体験記録単位で行われ、図に示すように、一つの体験記録とそれを構成する体験要素が表示される。それぞれには、対象となる時間区間のビデオ映像を再生するための、再生ボタンが用意されている。

また、各体験要素ごとにチェックボックスが用意されており、自身の体験を立案するために、選択した体験要素を引用することができる。この場合、体験要素間の関係を考慮して引用を行う。たとえば、ある2つの体験要素AとBを、順番を考慮して体験として定義し、それを一つの体験要素として、また異なる体験要素Cと共に、順番を考慮して体験と定義したとする。この場合、体験が3つの体験要素から構成されているが、AとBは一つの体験として定義されている。ここで、Bを引用する場合、同時にAも引用される。実際に体験を立案する際に、Aを削除することはユーザの自由であるが、引用する際には体験コンテンツの作成者の意図を考慮して引用する。体験要素の関係付けについては、次の節で述べ、体験の立案については、第4節で述べる。

4.4 体験コンテンツの編集

に、体験コンテンツを編集するためのインタフェースを示す。左上のフレームでは、映像を閲覧しながらインデックス付けを行い、手動でイベントを作成することができる。そして、時間情報によって位置情報と関連付けられ、左下のフレームのように地図上にプロットされる。右側のフレームには、イベント、体験要素、体験それぞれのリストが表示されており、評価・コメントの付与や、意味づけ等の編集作業を行うことができる。以下では、左上のフレームをイベント作成フレーム、左下のフレームをマップフレーム、右側のフレームを、編集フレームと呼ぶことにし、編集作業の手順を順に説明する。

体験コンテンツ編集インタフェース

図4.9: 体験コンテンツ編集インタフェース

イベント作成フレームでは、ビデオを閲覧しながらタイムコードを利用して、イベントを作成することができる。作成方法には、特定の区間を指定する方法と、ピンポイントに指定する方法の二種類がある。前者の場合、start、stopボタンを押すことによって時間位置を指定し、作成ボタンを押すことによってイベントが作成される。開始時間のみを指定した場合が後者の場合である。作成されたイベントは、その開始時刻を利用して移動履歴から該当する位置情報と関連付けられる。そして、図に示すようにアイコンをプロットし、編集フレームのイベントリストに追加される。

マップフレームでは、イベントの種類に応じて色の異なるアイコンをプロットしており、自動で作成されたイベントは赤色、手動で作成されたイベントは黄色、カメラ映像の交換配信については緑色、Webアクセスについては緑色のアイコンになっている。

編集フレームでは、図に示すように、自動・手動で作成されたイベントのリストが表示されており、右側の再生ボタンを押すことによって、該当部分の映像を視聴することができる。また、左側のチェックボックスを選択し、「体験要素として定義」というボタンを押すことによって、イベントに対して、体験要素としての解釈を加えることができる。ここで体験要素としての解釈を与えられることによって、評価・コメントなどの付与が可能となる。したがって、体験要素としての解釈を与えられない、イベントのままの状態では、この情報を他者が閲覧することはできない。

イベントリスト

図4.10: イベントリスト

イベントが体験要素として定義されると、図に示すように、各種の編集用フォームと共に体験要素リストが、イベントリストの上部に表示される。図中の一つのテーブルが一つの体験要素を示しており、それぞれに対して、タイトル、評価、コメント、体験に関する制約条件を付与することができる。この制約条件は、体験要素単位のものである。体験要素を複数選択し、体験として定義する際には、各テーブル左のチェックボックスを選択し、体験要素間の関係として、並列・順序・包含関係のいずれかを選択する。これは、体験の流れに関する制約条件となる。

体験要素リスト

図4.11: 体験要素リスト

体験が定義されると、図に示すように、に示すように、編集フレームの最上部に体験リストが表示される。ここでは、体験記録単位でのタイトル・評価・コメントの付与が可能である。構成要素としての体験要素は、それらの関係に合わせて以下のように表示される。

  • 並列関係

    [体験要素1], [体験要素2], [体験要素3]

  • [体験要素1]→[体験要素2]→[体験要素3]

    順序関係

  • 包含関係

    [親体験要素]([子体験要素1], [子体験要素2])

体験リスト

図4.12: 体験リスト

体験要素としての体験

図4.13: 体験要素としての体験

この編集システムでは、体験を一つの体験要素として捉えることもできるようになっている。図のように、体験要素リスト中に青色のテーブルで表示されている体験要素は、体験として定義されたものである。これにより、体験を表現する中で、その部分要素となる複数の体験要素を順に追うことが必要であるというような、体験に関する制約条件を表現することができる。

4.5 体験コンテンツの検索・統合

本節では、他者の体験コンテンツを利用して自身の体験を立案するための、体験コンテンツ統合システムについて述べる。

友人が登録した新着コンテンツは、図に示すトップページに表示されるが、過去の体験を参照したい場合には、検索する必要がある。そこでまず、他者の体験コンテンツを検索するための仕組みについて述べる。体験コンテンツ共有プラットフォームには、トップページ(図)からキーワード検索を行うことができる。また、位置情報に基づいて体験要素を地図上にプロットし、地図上から検索する仕組みが用意されている。図に、キーワード検索の結果を示す。体験単位でリスト表示され、閲覧ページへジャンプするためのボタンが表示されている。

キーワード検索の結果

図4.14: キーワード検索の結果

地図からの検索

図4.15: 地図からの検索

自身の体験の参考にしたい体験コンテンツを発見したら、閲覧システムから閲覧を行う。図に示すように、閲覧システムでは体験要素ごとにチェックボックスが用意されており、選択した体験要素を引用することができる。体験要素を引用する際、複数の体験要素をまとめた体験要素が存在する場合など、選択された体験要素に関連する体験要素が存在した場合、関連する体験要素も引用される

に、体験コンテンツ統合システムのインタフェースを示す。右のフレームに引用した体験要素が表示され、ここから順序の入れ替え、削除が可能となっており、これにより自身の体験を立案することができる。

体験コンテンツの統合

図4.16: 体験コンテンツの統合

右フレーム最下部のボタンを押すことによって、複数コンテンツを統合することができる。図にその具体例を示す。

プランニングによって作成されるXML

図4.17: プランニングによって作成されるXML

contents要素以下には、参照された体験コンテンツに関する情報が記録される。以下、elements要素、events要素は、それぞれ引用された体験要素とイベントである。この情報を利用して、追体験の際には、任意のタイミングで閲覧システムを利用することができる。これにより、体験に関わる情報を閲覧しながら、体験を進めることが可能となる。

5 追体験支援

本章では、体験共有によって可能となる応用例である追体験支援について述べる。まず、本研究における追体験を定義する。次に、追体験の実現可能性について議論し、その上で追体験を支援するためにシステムが提供すべき機能について議論する。最後に、AT上に実装した、追体験支援システムについて解説する。

5.1 追体験とは

手元にある複数の辞書(たとえば、大辞林 第二版)を引いてみると、追体験とは「他人が体験した事柄を、解釈作業などを通して自分の体験として再現すること」とある。しかしながら、一般的に追体験という言葉は、以下のような意味合いで使われていることが多い。

  • 体験者になったつもりで体験を想像する

  • 体験者の気持ちを解釈する

まず前者について考えてみる。「なったつもりで」ということは、捉え方が二通りあると考えられる。一つ目は、体験者が体験した場面と同じような状況の中にいるという捉え方であり、二つ目は、実際はその状況の中におらず、想像をしているという捉え方である。体験を想像するということに、本研究における体験の定義を当てはめて考えてみると、「体験者の解釈を想像する」となる。これらのことから、前者の追体験は、追体験者がおかれている状況に関わらず、体験者の解釈を想像するものである。つまり対象となる体験が、実世界における体験であっても、実際にその場所に行く必要は無く、追体験者は自由に体験を思い描くことができる。

体験者になったつもりになるには、体験者が置かれていた状況や、その体験に至った経緯を明らかにすることが重要だと思われる。しかしながら、前者の定義では、それが想像にゆだねられてしまっている。これは、追体験というよりも仮想体験に近いものと考えられ、追体験者の想像を重要とするものである。

後者は、前者には反して、体験者の解釈が重要となる。「体験者の気持ち」というのは、その体験の中で体験者がどう感じたかということである。それをある程度まとめたものを解釈と呼ぶことができる。したがって後者の追体験は、体験者の解釈を解釈するということになる。体験者の解釈を、正しく追体験者に伝えるには、体験者の解釈を詳細かつ正確に表現する必要がある。つまり、体験を詳細に記録し、他者に対してどのように提示するかということが中心の課題となる。

より深い解釈のためには、体験者が実際置かれていた状況を知る必要がある。その状況に、追体験者である自身を置くことができれば、体験に至った経緯や、解釈に作用した対象を捉えることによって、より深い解釈が可能となるだろう。しかしながら、後者の定義では、追体験における追体験者の状況については言及されていない。

以上のことから筆者は、追体験において重要なことは、「体験者になったつもりで体験を解釈する」ことであると考える。つまり追体験においては、体験者が体験に至った経緯や、その時点で置かれていた状況を考慮し、追体験を進めることによって、体験者の体験に対する解釈を追体験者が解釈し、さらに追体験者自身の解釈と比較することによって、より深い解釈を促すことが、目指すべきことであると考える。

これまでの追体験が、想像であったり、気持ちの解釈にとどまっていた理由として考えられるのは、自身の体験を記録し、整理したうえで共有し、さらには体験をトレースするための具体的な仕組みが存在しなかった点である。体験に至った経緯を解釈する最も効果的な方法は、同じ経緯を再現することである。そのためには、体験者が意識するしないに関わらず記録しておく必要がある。それを体験者が整理することによって共有し、第三者が利用できるようにしておく必要がある。しかしながら、これまでは、体験者の主観によって柔軟に体験を整理、構造化し、パーソナルな情報である体験記録を共有するための仕組みがなかった。また、実世界において行われる人間の体験を、直接的にトレースするための物理的な仕組みが存在しなかった。本論文で提案する体験コンテンツ共有プラットフォームによって、体験を共有し、移動体であるATを利用することによって、人間の行動と情報処理を密接に関係付け、体験のトレースを実現することができる。つまり、体験者の行動を、位置情報、あるいは各種の操作履歴として記録し、追体験の中で再現することができる。

以上のことから本研究における追体験を、「第三者による再体験」と定義する。追体験では、体験者と追体験者が異なるが、再体験では、基本的にはそれが同じになり、想像にとどまるのではなく、再度経験することを意味している。つまり、他者が作成した体験コンテンツを閲覧するだけではなく、自身の実世界状況に関連付け、自身の体験を進めることによって、体験を解釈する。体験は主観的なものであるため、実世界状況と体験する人間に依存して、解釈の仕方は様々である。追体験において重要なことは、文脈や状況について考慮することで、原体験者の体験を解釈し、さらに追体験者自身の解釈を比較することによって、互いの違いを見つけたり、共感する部分を見つけることである。

5.2 追体験の可能性

前節で議論した体験のトレースを実現する際に考慮しなければならないことは、体験の種類によっては、二度と同じことが起こらないものも存在するということである。本節では、追体験の可能性という観点から、どのような追体験が想定されるかについて述べる。

突発的な事故との遭遇であったり、数十年に一度到来する流星群を見たというようなものが挙げられる。これらは、体験者が意識する、しないには関わらず、再現が困難なものである。しかしながらATは、常に文脈情報を記録しているので、オーサリングの仕組みによって、突発的に起こった出来事に対する体験に関しても、自身の体験として整理・共有することができる。ここで体験者は、その体験に対して、再現性があるのかどうかについて言及することによって、追体験者に対して、どのような性質の体験なのかを伝えることができる。

追体験に対するモチベーションについて考えてみると、追体験によって得たい効果や目的が存在するだろう。しかしながらこの目的は、同じ体験を基にしているとしても、追体験者によって異なると考えられる。追体験者によって目的が異なる以上、追体験できるかどうかを決めるのは、追体験者であり、その目的を達成できるかどうかという点が重要である。たとえば、有名な出来事が起こった場所に居合わせたという体験に対して、まったく同じ出来事に遭遇したいと考えれば、その追体験者にとっては追体験は不可能であるし、ただ漠然とその場所に行ってみたいと思うのであれば、その追体験者にとっては追体験は可能であるといえる。

他者の体験を参考にすることによって、自身の体験を効率良く進めたいという目的も考えられる。これは、ATが物理的な仕組みであり、制御の部分まで考慮したナビゲーションが可能なためである。また、体験が整理されており、効果的な情報提示を受けることによって、より有意義に進めることもできる。周辺情報を確認しながら、目的地までのガイドというスタンスで追体験を行うのであれば、同じことが起こり得ない場合であっても、有効であると考えられる。

以上のように、追体験に対する目的が異なるために、それに関わる制約条件も異なってくる。したがって、追体験が可能かどうかについては、追体験者の判断にゆだねられる。しかしながら、原体験者が気づかなかった制約条件を、追体験者が発見することもある。追体験者によって作成された体験コンテンツは、参照された体験コンテンツと関連付けれられるので、他に追体験をしようとしている人に対して有効な情報となる。

5.3 追体験支援

本節では、追体験を支援するためにシステムが提供するべき機能について議論する。体験のトレースを効果的に進めるためには、以下のことについて考慮すべきであると考える。

  • 物理的行動の再現

  • 実世界状況に合わせた情報提示

まず、一つ目の「物理的行動の再現」については、選択的であることが望ましいと考えられる。これは、制御に関わる部分であるため、あまり搭乗者の意図に反していると危険を伴ってしまう。また、体験を再現するという観点から見ると、追体験者の意図が反映されず、追体験者自身の解釈を限定的にしてしまう恐れがある。体験の解釈は体験する人間によって様々あってよく、他者と自分の解釈の違いを捉えることによって、自身の解釈をより深めることができる。

しかしながら、トレースを選択的にするということは、体験者の意図が伝わらなくなる可能性を含んでいる。物理的な行動によってもたらされた解釈は、それを再現することによって、理解を深めることができると考えられる。

また、物理的行動を再現するということは、ナビゲーションの側面を持っており、体験を効率良く進めることが可能となる。目的地にいたる経路において、その途中の景色を楽しむことができるような場合にも、移動はATに任せて、景色を楽しむことに集中できるという利点もある。このように情報端末が、物理的な制御まで関わることによって、より効果的な体験を実現できると考えられる。

したがって、追体験を支援するシステムは、体験をトレースするかどうかを、その場面ごとにユーザに問い合わせを行う必要がある。また、トレースの解除・再開は、搭乗者が任意のタイミングで行える必要がある。

次に、二つ目の「実世界状況に合わせた情報提示」について考えてみると、具体的には体験コンテンツをどのように見せるかということになる。体験を進める中で、任意のタイミングでの閲覧はもちろん、適切なタイミングで閲覧を促す仕組みが必要である。それにより、体験の進行をさまたげないようにしながら、スムーズな情報アクセスよって、体験をより効果的で有意義なものにできると思われる。体験に対する解釈を深めるには、体験に対して集中することが必要である。そのためにも、システムは適切なタイミングで情報を提示する必要がある。

5.4 追体験支援システム

本節では、以上の議論を踏まえ、AT上に実装した追体験支援システムについて述べる。追体験支援システムは、物理的行動の再現と情報提示によって、体験を効果的に進めるための仕組みである。具体的には、以下のように移動支援と行動支援を行う。

  • 移動支援

    いわゆるナビゲーションを意味し、目的地までの距離や方向をマップ上から提示する。ここでの目的地とは、体験要素として定義された区間の開始時刻に関連付けられた位置情報となる。

  • 行動支援

    ATを直接制御することによって、体験要素として定義された区間の物理的制御を行う。ここでは体験トレースと呼ぶことにする。

追体験時のコンソール

図5.1: 追体験時のコンソール

に、追体験時のコンソールを示す。リストボックス(図A)から、現在ATが保持している体験コンテンツを選択することによって、その体験要素がリスト(図B)に表示される。体験要素を選択すると、コンソール中央の簡易閲覧ビューに、体験者の評価・コメントが表示される(図C)。体験要素を選択した状態で、viewボタン(図D)を押すことで、閲覧ページにジャンプすることができる。

まず、移動支援として、マップを用いた情報提示について述べる。図に示すように、コンソール右下にはマップが表示され、追体験を行う対象となる体験要素を、その位置情報に基づいて地図上にプロットしている。マップ中央には自分自身が表示され、その向いている方向に合わせてアイコンの向きを変化させている。また、コンソールに表示されている体験要素リストの順番で、次に向かうところが黄色のアイコンで表示され、残りについては赤色のアイコンで表示される。ここでmapボタン(図E)を押すことで、広域の地図上に体験要素をプロットして表示することもできる。このマップは、%前述したようにサーバが各ATの位置情報を収集し、それに基づいて作成される。これにより搭乗者は、現在位置と次の目的地を把握することができる。

次に、体験トレースの具体的な手順を示す。体験トレースは、引用された体験要素ごとに行われ、インデックス付けされた区間が対象となる。また、トレースのための制御情報は、体験立案の際に同時にダウンロードされる。なお、以下の1に関しては、移動支援の部分である。

  1. 体験要素を目的地として設定し、マップ上に強調表示

    前述の移動支援として、マップを提示する。

  2. 体験トレース開始の確認

    自動インデックスが付けられたものに関しては、該当するRFIDタグを発見した時点で、搭乗者に対して体験トレースを開始するかどうかを問い合わせる。RFIDタグの情報が無い、手動で付けられたインデックスの場合は、インデックス開始時の位置と、現在の位置との距離を計算し、閾値以下になったところで搭乗者に対して問い合わせを行う。この閾値は概ね1!)2メートルとし、体験の種類にあわせて変更することができる。そして、搭乗者が承認すればトレースを開始する。

  3. 体験コンテンツの閲覧

    4の半自動走行を開始する前に、参照している体験コンテンツの閲覧を促すダイアログを表示する。返答次第、4へ移る。

  4. 制御情報を基に目的地まで半自動走行

    あらかじめダウンロードしておいた制御情報に基づいて半自動走行を行う。自動走行の解除・再開は任意のタイミングで行うことができる。

  5. 体験要素が入れ子構造になるように定義されている場合、下位の体験要素に対して、1から順にトレースを行う。

    下位の体験要素をトレース

  6. 体験トレース終了

    該当区間を過ぎたら、トレースを終了する。上位の体験要素があれば、そのトレースへ戻る。無ければ、1(移動支援のフェーズ)へ戻る。

体験トレースを行っている最中は、半自動走行という状態になる。これは、任意のタイミングで制御権を搭乗者に戻すことが可能な状態である。これにより制御の部分に関して、体験者の意図を再現しながらも、途中で追体験者の意図した行動を行うことができる。

体験トレースは、目的地での体験を効果的に行うためのものであるが、ある目的地までの道中が体験として定義してあれば、それを利用して、道中も楽しみながら目的地へ向かうことができる。これは、手動インデックスによってイベントを作成し、体験とすることによって可能となる。たとえば、きれいな並木道を走ったという体験などがこれに当たる。

追体験の最中にATを制御する必要がある状況の一つとして挙げられるのが、連携動作を行う場合である。特に、複数人で体験を行う場合には、移動そのものを特定のユーザにまかせて、情報収集や会話を行うなど、体験を有意義に進めることができるようになる。

以上のような追体験における一連の行動も記録されており、後にオーサリングすることで、自身の体験コンテンツを作成することができる。この場合、体験コンテンツを参照したことが記録されていることはもちろん、引用する際に、参照された側に対しても通知を行うことによって、それを基にした新たなコミュニケーションが期待できる。

6 関連研究

6.1 知的移動体

6.1.1 知的車椅子

高齢化社会の到来によって、今後ますます身体的に障害を持っていたり、身体機能が低下した高齢者が増えて行くと思われる。そこで、より安全で機能性の高い電動車椅子の実現を目指した研究が行われている\cite{iwc}。

車椅子は、高齢者や足腰に障害を持つ人間にとって、必要不可欠な移動手段となっている。しかしながら、従来の電動車椅子の操作性は、必ずしも直感的ではなく、、自分の意図どおりに操作できるまでには多くの時間を要する。たとえば、ジョイスティックを用いたインタフェースは、搭乗者の姿勢や車椅子自体の特性などの要因から、搭乗者の意図との間にずれが生じ、危険を伴う可能性がある。

濱上らの知的車椅子では、事前に学習した障害物回避や壁沿い行動による移動時の搭乗者の操作負担の軽減や、他の知的車椅子と協調することによる道路の譲り合いや隊列成型といった協調行動の実現などを目指している。

濱上らの研究プロジェクトでは、車椅子を日常的に必要としている人を対象にして、限られたユーザに対しての操作性の向上を目指している。また、この研究プロジェクトで扱う情報は、ユーザの操作性を向上させるためのものであったり、協調走行を行うためのものであったりとその適用範囲は狭い。本研究におけるATは、そのような情報だけではなく、一般的な情報サービスなどとの連携も想定している。

6.1.2 RCT(Robotic Communication Terminals)

「移動すること」を、人間にとって最も基本的な意味ある要素の一つとして捉え、移動に必要な状況把握や情報へのアクセスを快適にすることを目指し、「人にやさしい情報通信移動システム」をテーマに立ち上げられた研究プロジェクトが、RCT(ロボティック通信端末)である。RCTは、障害を持つ方々やお年寄りのための移動支援システムとして、以下に示す3つの根幹となる端末から構成されている。

  • 環境端末

    設置場所周辺をモニターし、障害物や動物体など、環境についての状態を検出する。さらに、インターネットを用いた通信機能も備えており、他の端末との双方向通信が可能である。

  • ユーザ携帯型移動端末

    従来の画像・音声など視聴覚を利用したインタフェースに加えて触覚も取入れることで、障害者や高齢者の様々な身体の状態に対応している。

  • ユーザ搭乗型移動端末

    操縦系には、利用者の障害に合わせて設計されたハンドルまたはジョイスティックが装備され、センサーからの情報を利用した自動運転支援機能も装備されている。

RCTプロジェクトでは、情報通信の様々な分野に対する研究トピックを含んでいる。その中の一つとして、歩行者移動支援GISと呼ばれる、広範囲な一般道のバリアフリー情報を提供する仕組みがある。これは、ユーザの身体状況を考慮することによって、最適な経路提示を行うナビゲーションシステムである。

人間の行動を構成する要素の中で「移動」に注目し、情報通信技術を利用して、人間の活動を効果的なものにするという点では、我々のスタンスと類似している点は多い。しかしながら、RCTプロジェクトがターゲットとしているユーザは、身体障害者やお年寄りなど、身体機能が十分でない人々であり、極めて限定的なものである。それに対してATはターゲットとしているユーザを限定することはなく、人間の物理世界における行動と、情報を密接に関係付けることによって、移動のみではなく人間の活動全般を支援することを目指している。

6.2 体験の記録・共有・利用

6.2.1 体験キャプチャシステム

角らは、体験キャプチャシステムと称して、博物館や展示会のようなイベント空間において、複数の人のインタラクションを協調的に記録する方法論の開発を進めている。特に、イベント空間でのコミュニケーションを体験共有と捉え、言語のみに頼った情報共有ではこぼれ落ちてしまった暗黙知の共有を目指している

角らが対象としている体験共有は、時間と空間を共有し、体験を共にしている環境で、人間同士、あるいは人間と対象物とのインタラクションを記録するものである。つまり、体験を共有していることを記録するものであり、これを体験メディアと呼んでいる。本研究では、体験を記録し、第三者との共有を目指しているため、体験共有に対する視点が異なっている。

利用という観点から見ると、イベント空間にいる参加者の視線からの映像により、追体験メディアとしての3次元仮想空間を構築する方法である、時空間コラージュがある。これは、映像を基本とした仮想空間の中で、仮想体験を実現するものであり、実世界での体験を直接的に支援する点で、本研究とは異なっている。

また、経験や興味を漫画日記として提示し、コミュニケーションの促進を図る、コミックダイアリと呼ばれるシステムが提案されている。これは、ユーザ間のコミュニケーションを活性化させるための手段として有効であり、体験を整理するためにオーサリング機能も提供しているが、展示関連情報の閲覧による個人化にとどまっており、日常生活に適応することが困難であると考えられる。

6.2.2 ライフログ

日常生活、体験のデジタル化を目指しているのが、相澤による、ライフログである。相澤は、ウェアラブルシステムによって長時間に渡ってデータを取得し、データの効率的な検索に関する研究を進めている。特に、記憶の想起のために体験記録を利用する場合、コンテンツそのものよりも状況を表すコンテキストが役に立つとして、コンテキストに基づく検索の研究を進めている。

具体的には、映像・音声の他に、GPS、ジャイロ、加速度センサ等を用いている。特徴的なのは、文書や電子メール、Webページの記録を行い、ユーザの様々なデスクワークを記録することができる点である。さらに、MSOfficeのアプリケーションとPDFに関しては、そのオリジナルとテキスト変換データを保持し、文書内のキーワードでの検索も可能にしている。さらに、電子メールを利用することで、任意のタイミングでユーザがインデックスを付けることができる。

ライフログは、個人を主体とした体験を詳細に記録することができるが、その利用方法が記憶の想起に限定されてしまっている。また、記憶の想起について考えてみると、比較的近い過去の体験であれば、視点映像によって記憶を想起することができるが、遠い過去であり、そのときのことを詳細に覚えていないような場合に関しては、自身が映像に写っているほうが、記憶の想起を促すと考えられる。体験記録を共有することで、自身の映った映像を取得することが考えられるが、非常にパーソナルな情報である体験記録を、他者と共有するための仕組みが用意されていない。本研究では、ユーザ間の通信履歴を利用することで、お互いの映像を引用して体験記録を閲覧することが可能であり、情報公開についても、友人関係を利用した、一定の制限を設けている。

6.2.3 Living Map

写真ベースのシステムとしては、Living Mapと呼ばれる、GPSと写真を利用して日々の生活を記録し、マップ上で関心の近いユーザと共有することによって、コミュニケーションを行う仕組みがある。これは、位置情報をベースとしたオンラインコミュニティを、一つの地図にマッピングすることによって、街を利用する人々による「生きた」マップを作成していく仕組みである。これにより、街の利用者による最新の生きた街情報を常に検索・入手でき、自分の趣向に合わせて、自分が街で行きたいと思う場所をリコメンドされ、発見することができるようになる。さらに、自分と趣向が合う人を発見し、コミュニケーションを行うことが可能となる。

このアプリケーションは以下の3つの作業(段階)から構成されている。

  • Packaging

    ユーザの体験を記録するために町中で写真を撮り、それをGPSの記録とあわせて保存する

  • Reliving

    これまでの体験を追体験すること(できるようにすること)

  • オンライン上で他人と街中での体験を共有すること

    Sharing

この論文では「Intersect」という共有方法を提案しており、ユーザ間の行動軌跡のなかで交わる点がある場合、互いの体験を共有できると定義している。

利用者の体験をベースとして、コミュニケーションを促進するという点では、本研究のスタンスに近いものがある。体験共有の方法も特徴的であり、本研究における、通信履歴を利用した映像の引用も、ユーザの行動を考慮した共有方法であるといえる。しかし、Living Mapにおける追体験(Reliving)は、写真に効果を与えた閲覧によるものであり、本研究のように体験を直接的に支援するものではない。

また、写真ベースの体験記録であるため、時間的に広がりのある体験を表現することができない問題点がある。写真同士を関連付けることによって表現することは考えられるが、その点については言及されていない。本研究における共有プラットフォームでは、体験要素間の関係付けを可能とする仕組みである。

6.2.4 ウェアラブル日記

河村らによるウェアラブル日記システムは、ユーザ視点映像を拡張記憶として蓄積し、日常記憶活動を支援することを目指した取り組みである。このシステムによりユーザは、その頭部にユーザ視点映像を取得する小型カメラを装着すると共に、HMD(Head-Mounted Display)から提示される拡張記憶要素を見ることで、体験を想起する。

このシステムには、Ubiquitous Memoriesと呼ばれるモジュールが核となっており、ユーザが記憶を整理するために、拡張記憶の各要素を実世界に遍在する物理的対象と関連付ける機能を提供している。ここでは、実世界対象物にRFIDタグが埋め込まれている/貼り付けられているとし、ユーザの手首には、小型RFIDタグリーダが装着されていることを前提としている。また、オペレーションタグと呼ばれる特別なRFIDタグをいくつか身に付けており、拡張記憶要素を「貼り付ける」「コピーする」といった操作を可能としている。

拡張記憶を閲覧することによって、体験を想起することができるとしており、他ユーザとの映像共有によって、他者に対して性格に体験を伝達することができると述べている。しかしながら、体験に対する明確な定義がなされておらず、映像のみであるならば、記憶であっても体験と呼ぶのは難しい。文字列などをアノテーションによって付与する仕組みについても言及されているが、体験を構造化するまでには至っておらず、そのような映像情報を提示するだけで、体験を正確に伝達しているとは言い難い。本研究では、体験に対する定義を与えた上で、他者が閲覧することを考慮して、そのために必要な体験の構造化や、メタ情報の付与を行っている。このように体験を構造化することは、本人の体験を整理することにもなり、結果として記憶の想起にも役立つと考えられる。

7 まとめと今後の課題

7.1 まとめ

本研究では、個人用知的移動体ATを新たなコミュニケーションツールとして捉え、ATを利用して体験記録を作成し、共有・再利用するためのシステムを構築した。

具体的には、移動履歴や通信履歴などのような、ATによって獲得される様々な文脈情報を記録し、体験として整理・共有するための基盤システムと、さらに体験記録の応用例の一つとして、実世界における第三者の体験を支援する、追体験支援システムを提案した。

本論文においては、体験を「行動一般に対する主観的解釈」と定義した。この行動一般を文脈情報で表現し、体験としての解釈を与え、コンテンツ的要素として共有のための情報を加えることによって、体験コンテンツと呼ばれる、複合的コンテンツを作成する。体験コンテンツでは、体験に関わる文脈情報のセグメントをイベントとして、それに対して体験要素としての意味づけを行い、体験要素の集合によってデータとしての体験を定義する。体験要素に対しては、体験者の評価やコメントが付与されており、第三者が閲覧することができる。また、体験を構成する体験要素間には、順序関係や包含関係が存在し、第三者が体験を立案する際に有効な情報となる。

さらに、体験を共有することによって可能となる応用例として、体験コンテンツを利用して自身の体験を立案し、実世界における体験を直接的に支援する追体験支援システムを構築した。追体験支援システムでは、複数コンテンツを統合した結果をATにダウンロードすることによって、体験の順序をマップで表示したり、場合によってはATを直接的に制御することによって、より効果的な体験を支援するものである。

7.2 今後の課題

7.2.1 体験の粒度

本研究で対象としているのは、比較的日常生活に近い部分である。建物の中の部屋であったり、あるいは美術館における展示物単位であったり、体験の粒度はさらに細分化することができる。体験をオーサリングする際に、包含関係を定義することによって、細かい体験をまとめることは比較的容易であるが、細かい体験要素を定義するのは、その粒度によって手間な作業となる。そのため、時間的・空間的に粒度を細かくできるものについては、できるだけ細かく取得し、それらを包含するところまで自動化することが望ましい。そのための環境設定や、デバイスについても検討していきたい。

7.2.2 体験要素間の関係抽出

本研究で構築した体験コンテンツ共有プラットフォームでは、体験要素間の関係として、並列・順序・包含関係を扱うことができるが、さらに複雑な関係への対応と、その自動抽出が課題となる。

時間的な関係については、一部が重なるような体験や、過去の体験のように遠く離れている体験要素間の関係について考慮する必要がある。体験は個人の主観によって定まるため、時間的重なりが生じ、複数の解釈を含むことは十分に考えられる。現在の仕組みでも、時間的に重なりのある体験要素を定義することは可能であるが、重なりのある部分は、何らかの共通項があるはずで、その部分の抽出が課題となる。

さらには、時間的・空間的制約にとらわれることなく、体験を一段抽象化し、意味的な関係について考慮する必要がある。意味的な関係抽出という点では、追体験をした場合に、参照された体験コンテンツと、追体験によって作成された体験コンテンツの間には、意味的に重なる部分があると考えられる。その部分を抽出することができれば、体験の中で、より注目する部分が明らかになると考えられる。これにより、追体験をすればするほど、体験は洗練され、より効果的な利用が可能となる。

7.2.3 体験立案の自動化

追体験の際には、その可能性を含めて制約条件が存在する。時間的な制約だけでも、体験にかかる時間や、移動時間など様々な要素が存在する。順序の制約を考慮しながらも、効率良く体験を進めるための、自動体験立案システムが必要である。

また、ある体験の効果を高めるために付随してくる体験というものが考えられる。これは、特に知識を得るための体験については、体験同士の意味的な関係を考慮することによって、理解を深めることができると考えられる。体験コンテンツが豊富に存在する環境を想定すれば、その体験の前にどんな体験をしている人が多いか、またその評価や関連性を考慮することができれば、自身の体験をより効果的なものにできるだろう。

7.2.4 グループの体験と追体験支援

ツーリングのようにグループで行動を共にする場面では、仲間同士でやり取りをしながら、移動そのものを楽しむことができる。このやり取りには、行動計画についての議論や、感想や意見の交換などが想定され、追体験の際に有用となる情報が多く存在すると考えられる。

グループによる体験を行うには、あらかじめ計画を立てて、知り合い同士で集まって体験するということも考えられるが、我々の研究グループでは、自身の体験に基づき、アドホックなコミュニティを形成し、コミュニケーションを促す仕組みについて研究を行っている

これは、蓄積された体験コンテンツを利用して、ユーザの嗜好を推定し、それに応じたサービスを行うもので、実世界における体験時に、周囲に存在する嗜好の近いユーザが存在した場合、動的にコミュニティを作成し、コミュニケーションを行うことができる。

さらに、グループでの体験をオーサリングする際は、その構成員によって体験に対する解釈が異なってくると考えられ、その差異を吸収する仕組みが必要である。しかしながら、解釈は各個人によって異なってよいものであるため、個人の解釈を尊重しながらも、集合として捉える方法も必要である。そのような複数の解釈が混在した体験を利用した、追体験支援の方法についても議論していく必要がある。

謝辞

本研究を進めるにあたり日頃御指導を賜わった、 長尾確 教授、大平茂輝 助手には、研究の基礎的な考え方から論文指導など様々な面でお世話になりました。また、ゼミ等においても数々の貴重な意見を頂きました。心より御礼申し上げます。

学部時代に御指導を頂いた、名古屋工業大学の和田幸一 教授、犬塚信博 助教授、伊藤暢浩 助手には、研究に対する取り組み方や、基礎的な知識を身に付けるにあたり、数々のご指導を頂きました。ここに御礼申し上げます。

長尾研究室メンバーの友部博教さん、梶克彦さん、山本大介さん、土田貴裕君、三木まどかさん、佐橋典幸君、伊藤周君、成田一生君には、研究室活動を通じて、様々なご意見をいただきました。ありがとうございました。

長尾研究室OBである、山根隼人さん、清水敏之さん、細野祥代さん、加藤範彦さん、松浦真治さん、鬼頭信貴君、田中和也君にも、様々な場面でお世話になりました。ありがとうございました。

長尾研究室秘書の、金子幸子さんには、研究室生活全般においてサポートをしていただきました。ありがとうございました。

最後に、多くの時間を共に過ごし、共に高め合い、自分を支えてくれた友人たちと、影ながら見守っていてくれた家族に最大限の感謝の気持ちを表します。ありがとうございました。